昨年、映画館で宣伝をみて気になってたのに見逃していた「世界で一番ゴッホを描いた男」をやっと観た。
そういえば中国のドキュメンタリーってこれまでみた記憶がない(忘れてるだけかもしれないけれど)
こうやって地道に暮らす人の営みを時間をかけて映画にする人がいて、家族と思いやって暮らし、同僚と熱く語りあい、生活を向上させようともがくひとがたくさん暮らしているのが今の中国(の少なくとも一断面)だということ知れたのも収穫だった。
深圳にはこんなにたくさんの絵をかくひとたちが生きている。
みんなを集めてゴッホの映画を上映するシーンにはちょっと胸が震えた。
自分の生きる世界以外の場所に扉を開いてくれるのが映画やアートの力だと思う。
あいちトリエンナーレが私の住む大阪市の市長も含めた下品な政治家の横やりと、エセ愛国者の低能な脅しで展示が危ぶまれる今、アートを生み出す側の想いを見る側が受けとる行為に、本来「国」は関係なくて、必要なのは「想像力」だと強く思う。
時代も国籍も超えて中国·深圳の街の片隅でゴッホを熱く語り合う人たちの姿。
どの国にだって誰かにあこがれ、何かを目指し、人と寄り添う、、、そういうじんわりと温かい人の息遣いがあることを教えてくれる。
戦争という狂気が破壊するのはそういうものだ。
それを伝えようとした展示に対して、受け止める機会を奪う事の異常さは、必ず自分たちにふりかかってくる。