リカ活動家の日々のこと

リカちゃん人形に着物を仕立てて着せる沼に浸かる活動家。

和訳「新型コロナウィルスによる致死率が低いのは日本人の民度が高いからか? 」★後半

前回に続き、後半の和訳もしてみたので載せておきます。

それにしても、一行ずつ訳すのは本当に勉強になります。

知ってるつもりの単語もいざ日本語にするとなると・・・。

時々はこうやって分かったつもりになって流し読みしがちな英文を日本語に置き換えてみるのも大事ですね。

ぜひ、突っ込みも大歓迎ですので、読んでみてください。

(元の英語記事はひとつ前の投稿にリンクを貼っています)

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データに基づいた分析


 最近、私はなぜ日本では新型コロナウィルスの致死率が低いのかについて自分でも分析を試みてきた。皆さんと同様に私も日本の致死率の低さに驚くと同時に、データに基づいた信憑性の高い分析が見つけられず苛立ちを感じていた。本当にファクターXが存在するのか?文化的、社会的、人口統計学的、地理的、もしくは遺伝子的な要因が関係しているのか?それらで国ごとの致死率の違いは説明がつくのか?

 

私は京都にある「まいこや」の経営者で異文化研究者でもあるダム·アカー氏が4月に発表した文章を見つけた。新型コロナウィルスの致死率は比較文化研究に用いられる「ホフステッド指数」という指標とかなり関連性があるというのだ。
私はアカー氏にと共に、これまでに提唱されている仮説も含め様々な確率変数の検証を試み、結果として46か国200パターンの分析を実施した。様々な方法で国々を比較する方法を学べたことは幸いだった。しかし私が何時間もかけて調査し、結局見つけられなかったデータもある。それは麻生氏が「民度」を語るときの理由の一つとなった国民の清潔さや公衆衛生への意識の高さを裏付けるデータだ。

 

その国の環境汚染の度合を図るデータはたくさんあるのに、その国の個人が自宅や身体をどれだけ清潔に保っているかという比較データはほとんど見つからなかった。見つけることができたのはトイレに行った後に石鹸で手を洗うかどうかという比較データだけだった。

日本は調査実施国の中で下から5番目だった。


結局は各国の100万人当たりの致死率と様々なケースの関連性を調べることになった。もちろん複数の確率変数を含む関連性は直接の原因とイコールではない。しかし関連性を特定することは多くの論理において謎の解明の重要な一歩だ。


地形、気候、健康状態、医療制度、人口における年齢構成、統治機構や富の分配率、文化的価値観や、家で靴をぬぐかどうか、マスクをするかどうか、挨拶の仕方はお辞儀かどうかといった日常の習慣についても考慮した。


それに加えていくつかのユニークな視点も取り入れた。女性のリーダーかどうか、5G(第五世代の通信システム)が整備されているか、人々がどれくらいの頻度でセックスをしているかなどだ。(結論・これらの要因と致死率の相関関係は結局のところ確認できなかった)


分析の結果、最も私たちが統計的に確認できたのはアジア太平洋諸国の国々で致死率が低いということだ。これは東京大学児玉龍彦教授の仮説と同じ結果だ。児玉教授はアジア太平洋諸国(ロシア、オーストラリア、ニュージーランドを含むアジアの国々)では新型コロナウィルスに似た別のウィルスが蔓延していたために、ある程度の抗体が出来上がっているのではないかと提唱している。


もうひとつ有効なデータとしてはB型の人の多い社会は新型コロナウィルスの致死率が低いというデータだった。これは新型コロナウィルスと血液型の関係性を研究している科学者らが最近論文を発表しているがその結果とも合致している。


また東アジア人の遺伝子を持つ人の多い国で致死率が低いこともわかった。現在東アジア人は遺伝子的に新型コロナウィルスに強いのではないかという研究も行われている。
それ以外に致死率が低い理由として考えられるのは世帯当たりの平均人数や、靴を脱ぐ習慣、39才以下の人々のBCG予防接種率の高さなどがある。逆に高いコレステロール値、高緯度、80歳以上の男性の人口に占める比率が高い地域は致死率も高い。文化的な要因としては個人主義が根付いている、外交的な人が多い、キスやハグの文化も高い致死率と関連している。

 

次に私たちは、これらの関連性を組み合わせることで包括的なモデルを導き出そうと試みた。しかし統計学的に満足のいく結果は得られなかった。それでも多くの研究者が国ごとの違いを説明するためのモデルを作り出してきている。藤田医科大学の宮川教授の研究グループはBCGの予防接種と、かつての結核の蔓延を致死率の低下と関連付けている。


「ルールを守る人、破る人」の著者であるミッチェル・ガルファンド氏とメリーランド大学の同僚との共同研究によれば、日本の様に統治機構が効率的で人々の生活様式も「しっかりしている」国、言い換えれば規範意識同調圧力が強いということだが、そういう国では致死率が低いことが分かったという。


こうやって考えてみると、ある意味で麻生氏の発言は正しくもあり、間違っているとも言える。
もし民度の定義が集団的規範(法的強制力を持たない自粛要請)を遵守しようとする態度に加えてマスクの着用やおじぎ、家で靴を脱ぐといった習慣を指すのであれば日本は民度の高い国といえる。しかし、 そんな国は日本だけではない。そして日本はまた遺伝子的にもBCG接種の政策においても、アジアに位置しているという点においても民度と関係なくコロナウィルスに有利だったのでないか?


麻生氏の発言への反発は大きく、今後著名人が民度という言葉を使うのを聞く機会はあまりないだろう。しかし私はこのコロナ禍において日本だけが何か特別であるような例外主義的な態度は、実は深く浸透しているように思えてならない。