リカ活動家の日々のこと

リカちゃん人形に着物を仕立てて着せる沼に浸かる活動家。

本「閨(ねや)と厨(くりや)」(寿木けい著)

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この人のことはツイッターで知った。

こういう出会い方をするのが今なのだなぁと思う。

多分この人は私とほとんど同い年だと思う。

 

大切な身内が欠けたり、奪われたりせずに生きてきた私と違って、最初から欠けているという感覚も、失うという体験もしてきた人。

異なる点もたくさんあるのに、そこには同時代を生きる共通点もたくさん書かれている。

何気ないシーンを切り取って色を鮮明にして目の前に広げてくれるようなエッセイ集。

 

一番ハッとしたのは

 

夫は私と同じくらい率先して家のことをするので、私は好きな仕事を諦めずに来られたし、もともと多くはない友人付き合いだってずっと大切にできた。

男性の家事負担が女性と同等になれば、女性は多くを失わずに済むのだ。

 

そんなに胸を張って「好きな仕事」と言えるほどの仕事をしているわけでない私でも、この清々しいまでの正論には激しく同意する。

そしてそういう形を作るまでに、やっぱりパートナーと試行錯誤(特に子供が生まれてからは)をしてきた自負もある。

(これはアカン!)という直感に従って、暮らし方の方向を確認した時間はいくつも覚えている。

できるだけ長く家族でいるには、被害者面はできないけれど加害者にもなりたくない。

同等ということがどれほど難しいことかも引き受けたうえで、この人はこの一文を書いているという気がした。

 

このエッセイの最後で彼女はこう書いている。

 

あの時代はこうだったーーこれは後になってみないと分からないこと。

向田邦子須賀敦子が生きた時代とも、彼女達の親の時代とも、そして私の親の時代とも違う生き方が、まさに私たちひとりひとりの足元から、今いるこの部屋から、始まっている。生き方がいつか作られるのではない。私たちはすでに、当事者を生きている。

 

なんとなく、手元において時々読み返したくなるエッセイでした。