「本を持たずに出かけると、活字が恋しくて広告すらじっと読んでしまう。」という話をして「でも今日は身軽に動きたいから一冊も持たずに出かける。」と玄関を出ようとしたら姉が「電車に45分も乗るのにそれはあかんで!」と、本棚から薄い文庫本を数冊持ってきた。
その中でタイトルで決めて借りてきた本が、これ。
結果、今日は面白い展覧会をふたつも梯子したのに1日を終えての印象は、三木清さんと喋りながら過ごした気持ちになった。
すっごい人やった。
明治生まれの同郷人にこんなヤバいくらいのインテリがいたことを全然知らんかった。
「哲学は優しくできないか」という章で、
「哲学も一つの学問である。学問であるかぎり、哲学の場合でも、ほかの学問においてと同様に、何の用意もなしにすぐさまわかるはずのものでない。わかるためにはそれに必要な準備がなくてはならぬ。哲学だけが怠け者に媚びねばならぬ理由はなかろう。」
きゃー、ラストのフレーズとか、明治版めっちゃイケおじ!!!
正直ようわからん固有名詞は飛ばしまくりましたがそれにしたってどう読書するかの章には痛く共感し、学問の師である西田幾太郎博士のことを書いた「西田先生のことども」は一級のエッセイだと思う。
こんな本が戦前に出版されていたことに衝撃を受ける。
で、さっき後書きを読んでさらに衝撃が走る。
三木清さん、1945年9月26日に獄中で48歳で死んでいた。
治安維持法で逮捕され、wikiによれば病気になって壮絶な死を遂げている。
あーかーん!!!
治安維持法はどれだけの日本の知性を虫ケラのように潰したのかと改めてちょっと放心している。
最後に三木清さんの言葉を。
「愛読書を有しない人は、思想的に信用のおけない人である」
本を、読もうと思う。
これからも。