アメリカがこんなに分断されてしまった背景にはラスティングベルト(錆びついたベルト地帯)と呼ばれる、かつて製造業で栄え今はまともな職がない地域の衰退が間違いなくある。
先日、英会話の先生が「REPLECEMENT THEORY(置き換え(陰謀)論」という言葉を教えてくれた。
根拠はどうあれ移民に職を奪われているという恐怖。
多人種に繁殖され、自らの人種を根絶やしにされるという陰謀に共鳴する心。
自らの「古き良き」伝統が馬鹿にされ、一方的に悪者にされるという怒り。
遠くから見ているとうんざりするけど、世界のある街には本気でこう思って生きている人がいる。
著者が50州を訪ねて出会った人たちとのルポは、よくもこんな僻地まで突撃したな、と驚かされる。
KKKの活動アジトに行くだけでなく、薬物汚染、尊厳死、核兵器開発、移民排斥、BLMとさまざまな切り口からアメリカの今を伝えてくれる。
でも一つだけとても違和感を感じた。
第7章の「可視化された100万の性犯罪者たち」の章のまとめで、著者はこう書いている。
小児性愛も同性愛も生まれつきの性的指向だが、同性愛者は合意の上で性行為ができるという点で、小児性愛者と大きく違う。(中略)一方、小児性愛者が性愛の対象とする子どもたちは、性的行為の意味をよく理解できないから、同意することはあり得ない。同意がない性行為は犯罪だ。小児性愛者はありのままに行動すれば、子どもを傷つけ、法を犯してしまう可能性がある悲しい存在だ。カミングアウトすることも、カウンセリングを受けることも、かなり難しいだろう。
(188-189ページより引用)
まずこの文章の前提になっている「小児性愛は生まれつき」というエビデンスはこの本の中には示されていない。
著者が複数の小児性愛者を取材して感じた肌感覚なら乱暴すぎる。
その小児性愛者と同性愛者を並べて論じる意図も分からない。
一方は社会的な認知が進み、他方は排斥が進んでいるから?
何かに光を当てるために、別の何かを持ってくるなら同じ条件下での比較でしか意味をなさない。
さらに、犯罪と性的指向は違う。
小児性愛犯罪者についていえば、著者自身が指摘するように大半が「教会」「親戚」「スポーツチーム」といった特定の組織内の大人から子どもへの犯罪で、社会的かつ一方的な力の支配関係の中で行われている。
もちろん刑期を終えた小児性愛犯罪者の住所や氏名を明らかにするメーガン法が再犯防止になるのかや、お隣のカナダの取りみの紹介は参考になった。
だからこそ、なぜここに同性愛を持ち出す必要があるのか?
著書全体からは共感することろも、納得するところもたくさんあったからこそ、この章のもやもやが残ったことが個人的にとても残念だ。